2010年05月31日

誕生日おめでとう(昨日だけど)、ありがとう。

理不尽で、どうしようもなくて、悲しくて、仕事でくじけそうになる度に母親の言葉が思い浮かぶ。
「そこそこの企業で、そこそこの生活ができればそれが一番幸せなのよ」って。
こんなに辛くて理不尽な毎日なら、母親の言う言葉は正しかったと思わずにはいられない。

でも直後に2年前に思った自分の言葉を思い出す。
「こんなチャンスをみすみす捨てられない。妥協したら後から後悔する。大きな会社ほど仕事が大変なのはわかっている。自分には実現したい夢とやりたい仕事がある。」

そう、だから何を言われても、どう思われても、何を感じても、自分の人生と仕事を諦めたりしない。
涙が出そうになるのは仕方がない。それは自分の気持ちとは無関係に無意識に目から出てくるものだから。
他人の言うことなんて、その人の主観でしかない。自分がどんなに否定されようとも、それはその人だけの価値観。
今はやりたい仕事ができなくても、いつか絶対自分の信じる仕事を手に入れる。今はその準備期間。

母親はもう一つ、的を得ている言葉を言ってくれた
「あなたはいつも深く考え過ぎよ。もう少し気楽に考えていいの。」
さすが自分の親だ。ごもっとも。
posted by たぐちぇ at 21:45| 群馬 雨| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

原動機の排気量と車体重量のつりあい

街中をドライブしていて、なんだか最近は違和感を感じる。
あまりにも大型車が多い。加えてそこに乗ってる人・モノが少な過ぎる。

効率が悪いと言っても良い。
騒音と排気ガスをあんなに撒き散らしながら強大なパワーを出すのに、運んでいるものは大量のガソリンと、重たくて大きいボディーと、少しの輸送物。
おかしい…なんだか気持ちが悪い。見てるだけで非論理的で非合理的。
美しくないよね。違和感を感じると思わない??

なにがこんなにオカシイんだろう…って少し考えたらわかった。
運ぶモノに対して、エンジンが動かしてるモノの重量比がオカシイんだよ。
ヒト1人=60kg運ぶのに、エンジンは1t〜3tの車体を動かすんだよ??
どう考えても気持ち悪いでしょ。
なんのための原動機だよ、運びたいモノよりもそれ以外のモノの方が重いなんて!!

ドライブが趣味だから一人で乗っててのも大排気量に乗りたい、とか言うのもわからんでもない。
でもそーゆー車で渋滞に巻き込まれたり通勤で使ったり、要は本来の目的と違う使い方をしてない??

自分の考える理想の車ってのは、イコール 理想の物流運搬手段。
人間1人を運ぶのなら、50〜250ccのバイクで良いと思う。それでもバイクの方が人間よりも重い事が多いからなぁ、どうかと思う。
あとは、トラック・ダンプだな。実際にどれくらいの重量のモノを運んでるのかはわからないけど、10t運べるのなら車重よりは重そうだ。

まぁそんなワケで、自分より軽い乗り物を作るのが夢。
あ、セグウェイとか良いかもしんない。
posted by たぐちぇ at 22:28| 群馬 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

「せっかくだから」

「せっかくだから」って良い言葉だよね。
自分をポジティブにさせる。

「せっかくだから行こう」
「せっかくだからやってみよう」
「せっかくだから…」

この言葉だけで自分はいろいろな事にチャレンジできる。
posted by たぐちぇ at 12:57| 群馬 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

"学生気分"の定義

冗談っぽく「学生気分が抜けきってないな〜」と言われたことがある。
ほんの一瞬だけムカっとしたけど、直後に "学生気分"って何だろう と思った。

学生と社会人の閾値ってどこにある?
休憩時間にふざけてるのは学生気分? 仕事でミスをしない事が社会人?
無茶をするのが学生気分? 保守的な暮らしをするのが社会人?
危険な事をするのが学生気分? なにもしないのが社会人?
危険の定義は何? カートに乗るのは危険? バイクに乗るのは危険? 車に乗るのは危険? 歩くのは危険?

ちょっと抽象的すぎるなぁ…


何をしても仕事に支障をきたさなければ社会人? なんて、結果論。
posted by たぐちぇ at 12:53| 群馬 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そんなのいらない

春は出会いと別れの季節、と言うけれど
出会いたくも別れたくもない自分はこの季節が嫌いなのかもしれない。

別れを恐れて出会いを避けるのも、それなりに合理的な心理だと思わない?

昨日も人生の中でまた一つ別れがあった。
最後に飲み会をして、大変お世話になった人達に感謝の心と言葉を伝えて、話しても話しても足りなかったくらい素敵な空間だった。
けど、想いを言って熱くなればなるほど、「結局また別れの繰り返しか」と冷めているモノが心の裏に現れる。
あと数時間後に嫌でも襲われる、楽しかった後の虚無感・寂寞感をこの時点で予想してしまって萎える。

出会いっていうものは良いもの、綺麗なもの、素晴らしいものと一般的に認識されているけど、その後にこんな感情が必ず現れるのなら、そんなに軽々しく言うほど良いものかな?
「深い悲しみは 至福(しあわせ)を糧に育つもの…」 春待つ花のように/GARNET CROW

悲しみが待っているのなら、そんなのいらない。
posted by たぐちぇ at 12:01| 群馬 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする